赤岩の家

安楽寺と光恩寺 ― 赤岩の二つの寺と増田家・塩田家

赤岩には、増田家の墓所がある曹洞宗の安楽寺と、千代田町でいちばん古い真言宗の光恩寺があります。増田家は安楽寺を開いたと伝え、血縁のある塩田家は光恩寺を建立したと伝えます。寺の由緒と家の伝承を並べてみます。

伊勢守編集部・2026年10月17日更新

光恩寺の本堂(千代田町赤岩)
光恩寺の本堂(千代田町赤岩)写真: Keibun.t(CC BY-SA 4.0、Wikimedia Commons)

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利根川の堤防から少し北に入った赤岩の集落に、二つの寺が200メートルほどの距離で並んでいます。西側の安楽寺(米頂山)は曹洞宗、東側の光恩寺(赤岩山)は真言宗の寺です。

安楽寺 ― 増田家の寺

家の伝承増田家の墓誌は、増田家が大胡・長岡のころから代々曹洞宗を深く信仰し、赤岩村に曹洞宗の寺がないのを惜しんで、五代目新右エ門の代に安楽寺を開基し、一門を挙げて曹洞宗を守ってきたと記しています1。墓誌はこの安楽寺の墓地にあると考えられます。

町の資料千代田町教育委員会の説明板は、明治の村長増田市八の墓所を「赤岩安楽寺」としています2。曹洞宗の寺院案内では、安楽寺の所在地は千代田町赤岩1057です3。境内には6世紀後半の円墳とされる米山薬師古墳があり、町の文化財の一覧に載っています4。

二次資料寺の歴史について、群馬の寺社を紹介するブログは、行基がこの地に庵を結んだのが始まりと伝え、徳治元年(1306年)に広円明鑑が医王山龍泉寺(臨済宗)として開山し、荒れたのち寛永7年(1630年)に国厳本策和尚が中興して曹洞宗の米頂山安楽寺とした、と紹介しています。本堂は元文3年(1738年)の建立の記録があるとも書かれています。同じ記事は、墓地に「増田家」の立派な墓石が多いことにもふれています5。

推測寺の由緒が伝える「寛永7年の曹洞宗としての中興」と、墓誌の「五代目新右エ門による開基」は、どちらも安楽寺が曹洞宗の寺として始まった時期を語っています。初代繁敏が1556年に亡くなったとすれば、五代目の活躍は17世紀ごろと考えられ、時代はおおむね重なります。墓誌の「開基」は、寺を開くための土地や費用を出した檀家の筆頭(開基檀那)を指す言葉として使われることが多く、和尚による「中興」と両立します。ただし、両者を結びつける寺の記録(過去帳・縁起)はまだ確かめていません。

光恩寺 ― 赤岩でいちばん古い寺

町の資料光恩寺は千代田町でいちばん古い寺で、約1200年前に開かれたと伝えられます4。寺伝では、雄略天皇の勅願による九か寺の一つとされ、弘仁5年(814年)に弘法大師が再興したといいます。元亨元年(1321年)には後醍醐天皇の勅使によって伽藍が再建され「赤岩山光恩寺」の号を賜ったと伝わります6。

史料境内には、国の重要文化財の銅五種鈴、県の重要文化財の阿弥陀三尊像と文永8年(1271年)の地蔵菩薩画像板碑があり、長屋門・庫裏・客殿・石蔵は国の登録有形文化財です47。寺伝では阿弥陀三尊像に奥州の藤原秀衡の名が伝わっています7。

町の資料本堂の裏の堂山(赤岩堂山古墳)には、館林城を築いた赤井照光の墓があります。照光は「赤岩山は先祖の菩提寺なれば、我が骨は堂山に葬るべし」と遺言したと伝わります8。

二次資料光恩寺は何度も火災にあいました。永享12年(1440年)の結城合戦の兵火、文政13年(1830年)の雷火、そして慶応2年(1866年)の火災で伽藍を失い、いまの本堂は明治16年(1883年)に造営されたものです6。慶応2年の火災の後、庫裏は館林藩の家老岡谷繁実のすすめで、豪農の荒川弥五左衛門弘文の自宅が寄進・移築されたと寺は説明しています7。

塩田家と光恩寺

家の伝承増田家では、血縁のある塩田家が光恩寺を建立したと伝えています9。

推測光恩寺の寺伝は古代にさかのぼるため、「建立」を寺の創建と読むことはできません。考えられるのは、慶応2年(1866年)の火災から明治16年(1883年)の本堂造営までの再建に、塩田家が檀家として力を尽くしたという意味です。荻野吟子の生家の長屋門が「檀家の斡旋」で光恩寺に移されたのもこの時期で10、明治の再建に地元の有力な家々が関わったことがうかがえます。ただし、塩田家の名を記した寺の記録はまだ確かめていません。棟札・寄進者の名を刻んだ石碑・寺の過去帳などに、手がかりがあるかもしれません。

二つの寺を訪ねる

光恩寺は赤岩1041、安楽寺は赤岩1057にあり、歩いて数分です3。光恩寺の長屋門は毎年1月1日から4日まで開かれ、くぐることができます11。墓地は檀家の方々の大切な場所ですので、お参りの際は静かに。

出典・資料

  1. 増田家墓誌(十六代 増田新一郎、昭和62年(1987年)12月) 家の記録
  2. 説明板「増田市八」(千代田町教育委員会、平成23年(2011年)2月) 町の資料
  3. 曹洞禅ナビ「安楽寺」(曹洞宗) 公的資料 開く
  4. 千代田町の文化財/パンフレット『歴史散策 千代田町の文化財』(千代田町教育委員会) 町の資料 開く
  5. 千代田町赤岩・米頂山安楽寺(ブログ「上州まったり紀行」、2014年) ブログ 開く
  6. 光恩寺 (群馬県千代田町)(Wikipedia) 百科事典 開く
  7. 赤岩山光恩寺 公式ホームページ(文化財・寺宝/荻野吟子女史・受験合格の門)(赤岩山光恩寺) 寺の資料 開く
  8. 郷土の偉人(千代田町(教育委員会事務局 生涯学習係)) 町の資料 開く
  9. 増田家に伝わる話(聞き取り)(増田家、2026年) 家の伝承
  10. 文化遺産オンライン「光恩寺長屋門」(文化庁、登録 1999年2月17日) 公的資料 開く
  11. 掲示「荻野吟子略年表」(赤岩山光恩寺) 寺の資料

資料の一覧は資料のページにあります。家の伝承は増田家への聞き取りと墓誌によります。

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一族の物語

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通史

増田家の五百年

俵藤太に始まる秀郷流の伝承、新田と足利、上杉と北条のはざまで揺れた戦国の大胡城、そして利根川べりの赤岩・舞木での名主と村長の家。増田家の歩みを、時代ごとに「周りの大きな氏族と出来事」「増田家の資料が語ること」「そのつながり」の三つに分けて、通して読めるようにまとめました。

大きな氏族のはざまで赤岩を治めた一族

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増田伊勢守とは誰か

増田家の墓誌は、初代を「上洲大胡上泉城三万石の城主 増田伊勢守藤原繁敏」と刻んでいます。戦国時代の上野国には、たしかに「増田伊勢守」「増田繁政」という名が現れます。家の記録と外の記録を一つずつ並べ、分かっていることと分からないことを整理しました。

墓誌と戦国の記録を読み合わせる

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上泉伊勢守と増田伊勢守

剣聖と呼ばれた上泉伊勢守信綱と、増田家の初代とされる増田伊勢守。二人の「伊勢守」は、赤城山の南麓、大胡と上泉という同じ土地でつながっています。同じ名乗りが意味すること、意味しないことを、資料ごとに分けて考えます。

大胡城・新陰流と増田家

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俵藤太の伝承と舞木城址

増田家は、平将門を討った藤原秀郷(俵藤太)に発するとされています。千代田町には秀郷の出生地とする伝承があり、舞木城址には誕生の地の碑が建っています。町の資料・城跡の案内・家の伝承を分けて紹介します。

「藤原秀郷公誕生之地」の碑