
通史
増田家の五百年
俵藤太に始まる秀郷流の伝承、新田と足利、上杉と北条のはざまで揺れた戦国の大胡城、そして利根川べりの赤岩・舞木での名主と村長の家。増田家の歩みを、時代ごとに「周りの大きな氏族と出来事」「増田家の資料が語ること」「そのつながり」の三つに分けて、通して読めるようにまとめました。
大きな氏族のはざまで赤岩を治めた一族
Stories
増田伊勢守家の歴史を、テーマごとにまとめた読み物です。家に伝わる話と、記録で確かめられることを分けて書いています。

通史
俵藤太に始まる秀郷流の伝承、新田と足利、上杉と北条のはざまで揺れた戦国の大胡城、そして利根川べりの赤岩・舞木での名主と村長の家。増田家の歩みを、時代ごとに「周りの大きな氏族と出来事」「増田家の資料が語ること」「そのつながり」の三つに分けて、通して読めるようにまとめました。
大きな氏族のはざまで赤岩を治めた一族

一族の起こり
増田家の墓誌は、初代を「上洲大胡上泉城三万石の城主 増田伊勢守藤原繁敏」と刻んでいます。戦国時代の上野国には、たしかに「増田伊勢守」「増田繁政」という名が現れます。家の記録と外の記録を一つずつ並べ、分かっていることと分からないことを整理しました。
墓誌と戦国の記録を読み合わせる

一族の起こり
剣聖と呼ばれた上泉伊勢守信綱と、増田家の初代とされる増田伊勢守。二人の「伊勢守」は、赤城山の南麓、大胡と上泉という同じ土地でつながっています。同じ名乗りが意味すること、意味しないことを、資料ごとに分けて考えます。
大胡城・新陰流と増田家

一族の起こり
増田家は、平将門を討った藤原秀郷(俵藤太)に発するとされています。千代田町には秀郷の出生地とする伝承があり、舞木城址には誕生の地の碑が建っています。町の資料・城跡の案内・家の伝承を分けて紹介します。
「藤原秀郷公誕生之地」の碑

一族の起こり
増田家には、源氏の新田一族と交わり、足利尊氏の結婚式に出席したという伝承があります。新田と足利は、赤岩から見て北西と北にある隣の土地です。記録で確かめられること、伝承として残ることを分けてたどります。
伝承と記録のあいだ

赤岩の家
赤岩には、増田家の墓所がある曹洞宗の安楽寺と、千代田町でいちばん古い真言宗の光恩寺があります。増田家は安楽寺を開いたと伝え、血縁のある塩田家は光恩寺を建立したと伝えます。寺の由緒と家の伝承を並べてみます。
赤岩の二つの寺と増田家・塩田家

赤岩の家
日本で最初の公許女医、荻野吟子の生家の長屋門は、利根川を渡って赤岩の光恩寺に建っています。増田家には、荻野家と血縁があり、荻野家が絶えたときにこの門を引き取ったという伝承があります。門が川を渡った経緯を、資料と伝承から追います。
利根川の対岸から赤岩へ渡った「合格の門」

赤岩の家
幕末に95石の名主を務め、明治22年に永楽村の初代村長となった増田市八(1844〜1915年)。千代田町教育委員会が説明板を建てて顕彰する、増田家のなかで最も記録のそろった人物です。明治の村づくりと利根川の水害とともに、その生涯をたどります。
増田市八と永楽村

赤岩の家
増田家は、第二次世界大戦の終戦まで庄屋として地域を治めたと伝えます。舟運と渡しで栄え、たびたび洪水に見舞われた利根川べりの赤岩・舞木で、村の長の家はどんな役割をになったのか。江戸の支配のしくみから戦後の農地改革まで、確かめられることを順にたどります。
江戸から農地改革まで

赤岩の家
舞木の利根川べりに、嘉永年間の創業と伝える鰻料理の新田家(にったや)があります。田山花袋ゆかりの店として知られ、増田家にはこの店を作らせたという伝承があります。店の案内・町の文化財・家の伝承を並べて紹介します。
舞木の老舗にまつわる話

赤岩の家
増田家には、明治維新のときに落ちのびる松平家をかくまった話、出征前の大山巌が立ち寄って書を残した話、のちの帝人社長・大屋晋三が若いころ奉公していた話が伝わります。家に残る書状や書は未公開で、調べているところです。分かっている背景とあわせて紹介します。
松平家の書状、大山巌の書、大屋晋三