赤岩の家
名主から初代村長へ ― 増田市八と永楽村
幕末に95石の名主を務め、明治22年に永楽村の初代村長となった増田市八(1844〜1915年)。千代田町教育委員会が説明板を建てて顕彰する、増田家のなかで最も記録のそろった人物です。明治の村づくりと利根川の水害とともに、その生涯をたどります。
伊勢守編集部・2026年10月17日更新

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増田市八は、増田家の歴史のなかで、公的な資料によって生涯を確かめられる人物です。千代田町教育委員会は平成23年(2011年)2月に説明板を建て、町の公式サイトの「郷土の偉人」でも市八を紹介しています12。

説明板が伝える生涯
町の資料説明板によると、市八は弘化元年(1844年)に舞木で生まれました。慶応2年(1866年)、22歳で95石の名主を務めます。明治22年(1889年)に永楽村が誕生すると初代村長に推され、十余年の長い間、村治に尽力しました。明治29年(1896年)に邑楽郡会が発足すると郡会議員に選ばれ、郡会議長として郡の行政にも貢献します。明治43年(1910年)の利根川の大水害のあとには、富永村外四か村耕地整理組合の設立に奔走し、組合議員として手腕をふるいました。72歳で亡くなり、墓地は赤岩の安楽寺にあります1。
町の資料町の公式サイトの文面もほぼ同じですが、名主を務めた年齢を「二十三歳」としています2。数え年の数え方の違いかもしれません。また、亡くなった年は大正4年(1915年)で、72歳は数え年です。
95石の名主
背景江戸時代の村では、名主(関東では庄屋をこう呼ぶことが多い)が年貢の取りまとめや村の運営をになっていました。「95石の名主」とは、村、あるいは村の一部の石高がおよそ95石だったことを示すと考えられます。
史料明治初年の記録『旧高旧領取調帳』を整理したWikipediaの「邑楽郡」によると、幕末の舞木村は幕府領と前橋藩領に分かれた相給の村で、赤岩村は幕府領(岩鼻陣屋の管轄)でした3。一つの村に複数の領主がいる相給の村では、領主ごとに名主が置かれることがありました。同じ舞木の大塚半蔵が明治元年に館林藩の名主を務めたことも町の資料に見え2、舞木には複数の名主の家があったことが分かります。
推測市八が名主を務めた「95石」が舞木村のどの部分(どの領主の分)だったのかは、千代田町史の近世資料編などで確かめられるかもしれません。
永楽村の誕生
二次資料明治22年(1889年)4月1日、町村制の施行によって、赤岩村の大部分・福島村・舞木村・鍋谷村・新福寺村・瀬戸井村の一部が合併し、永楽村が生まれました4。村の名は、村域にゆかりのある長良神社にちなむもので、当初は「ながら」と読ませる予定でしたが、隣の長柄村も同じ読みを望んだため、郡長の裁量で「えいらく」としたと伝わります4。
町の資料市八は、この新しい村の初代村長に推されました。江戸時代の名主が、明治の町村制のもとで新しい村の長になるのは、全国でよく見られたことです。市八は十余年にわたって村長を務めました1。
郡会と明治43年の大水害
町の資料明治29年(1896年)、郡制による邑楽郡会が発足すると、市八は郡会議員に選ばれ、議長も務めました1。
二次資料明治43年(1910年)8月、梅雨前線と二つの台風が重なって関東各地で川が氾濫し、関東だけで死者769人、家屋の全壊・流失約5,000戸という大水害になりました5。利根川沿いの赤岩・舞木は、寛保2年(1742年)の洪水でも堤防が切れたことが記録される、水害と隣り合わせの土地です6。
町の資料水害のあと、市八は富永村など五つの村にまたがる耕地整理組合の設立に奔走し、組合議員を務めました1。耕地整理は、水につかって乱れた田畑の区画や用水路・道を整え直す事業で、地主や村の有力者が組合をつくって進めました。
市八の墓と増田家の墓所
町の資料市八の墓所は赤岩の安楽寺です1。安楽寺の墓地には増田家の墓石が多く並び7、昭和62年(1987年)に十六代増田新一郎が建てた墓誌もあります8。市八が増田家の何代目にあたるのかは、まだ確かめられていません。
二次資料市八の時代から少しあと、明治の終わりごろには、のちに帝人の社長となる大屋晋三の一家が、父の永楽村の小学校長への転任で舞木に移り住んでいます9。この話は「増田家を訪れた人びと」で紹介します。
永楽村は昭和30年(1955年)3月31日、富永村・長柄村と合併して千代田村となり、のちの千代田町になりました4。
出典・資料
- 説明板「増田市八」(千代田町教育委員会、平成23年(2011年)2月) 町の資料
- 郷土の偉人(千代田町(教育委員会事務局 生涯学習係)) 町の資料 開く
- 旧高旧領取調帳(関東編)(明治初年の記録) 史料 開く
- 永楽村/千代田町/邑楽郡(Wikipedia) 百科事典 開く
- 明治43年の大水害(Wikipedia) 百科事典 開く
- 関宿城(Wikipedia) 百科事典 開く
- 千代田町赤岩・米頂山安楽寺(ブログ「上州まったり紀行」、2014年) ブログ 開く
- 増田家墓誌(十六代 増田新一郎、昭和62年(1987年)12月) 家の記録
- 大屋晋三(Wikipedia) 百科事典 開く
資料の一覧は資料のページにあります。家の伝承は増田家への聞き取りと墓誌によります。



