Timeline

年表

増田家と、赤岩・舞木を取り巻く地域の歴史を時代順に並べました。項目ごとに、どの種類の資料に基づくかを示しています。

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史料
同じ時代の記録や、公的な登録・統計で確かめられること
町の資料
千代田町教育委員会の説明板・町の公式サイト・寺の掲示など
二次資料
後の時代の軍記・町誌・城郭サイト・百科事典などに書かれていること
家の伝承
増田家に伝わる話と、墓誌などの家の記録
背景
増田家と直接の関係は確かめていない、地域と日本の出来事

平安

  1. 承平年間(931〜937年)

    二次資料

    藤原秀郷(俵藤太)が舞木城を築いたと伝わる。

    俵藤太の伝承と舞木城址 資料:舞木城址

  2. 天慶3年(940年)

    背景

    藤原秀郷が平将門を討ち、その功で従四位下となる。のち下野守。

    俵藤太の伝承と舞木城址 資料:藤原秀郷

  3. 平安時代

    町の資料

    藤原秀郷の出生地には舞木・赤岩など諸説があり、舞木城址(俵団地)に顕彰碑が建つ。

    俵藤太の伝承と舞木城址 資料:郷土の偉人

  4. (年代不詳)

    家の伝承

    増田家は俵藤太に発するとされ、かつての一族の土地に生誕の地の石碑があると伝える。

    俵藤太の伝承と舞木城址 資料:増田家に伝わる話

  5. 1189年

    背景

    秀郷流を称した奥州藤原氏が滅ぶ。光恩寺の阿弥陀三尊像には、寺伝で藤原秀衡の名が伝わる。

    増田家の五百年 資料:藤原秀郷・赤岩山光恩寺 公式ホームページ

鎌倉・南北朝

  1. 鎌倉時代

    町の資料

    佐貫氏の資綱・嗣綱が赤岩に城を築き、近隣に一族を配したと伝わる(赤岩城。のちの光恩寺の境内とされる)。

    増田家の五百年 資料:郷土の偉人

  2. 文永8年(1271年)

    史料

    光恩寺の地蔵菩薩画像板碑がつくられる(県指定重要文化財)。

    安楽寺と光恩寺 資料:千代田町の文化財/パンフレット『歴史散策 千代田町の文化財』

  3. 徳治元年(1306年)

    二次資料

    のちの安楽寺が医王山龍泉寺(臨済宗)として開山されたとされる。

    安楽寺と光恩寺 資料:千代田町赤岩・米頂山安楽寺

  4. 元弘3年(1333年)

    背景

    新田義貞が挙兵して鎌倉幕府を滅ぼす。足利尊氏は京都の六波羅を攻め落とす。

    新田一族・足利尊氏との関わり 資料:足利尊氏

  5. (年代不詳)

    家の伝承

    増田家は源氏の新田一族と交わり、足利尊氏の結婚式に出席したと伝える。尊氏の正室は赤橋登子。この出席を記した記録はまだ見つかっていない。

    新田一族・足利尊氏との関わり 資料:増田家に伝わる話・足利尊氏

室町・戦国

  1. 永享12年(1440年)

    二次資料

    結城合戦の兵火で光恩寺の堂宇が焼けたと伝わる。

    安楽寺と光恩寺 資料:光恩寺 (群馬県千代田町)

  2. 享徳年間(1452〜55年)ごろ

    二次資料

    金山城の横瀬国繁が大胡城を攻略し、配下の益田(増田)氏を置いたとされる。益田氏の系図は、修茂がこのころ横瀬氏に属したと記す。

    増田伊勢守とは誰か 資料:大胡城・大胡城・上野国・戦国時代その4 剣聖・新陰流上泉伊勢守信綱

  3. 天文10年(1541年)ごろ

    二次資料

    大胡氏が横瀬氏に圧迫されて江戸の牛込へ移り、その後、横瀬(由良)氏の家臣増田繁政が大胡城の城代を務めたとされる。

    増田伊勢守とは誰か 資料:上野 大胡城・大胡城

  4. 天文14年(1545年)

    町の資料

    館林城主赤井照光が亡くなり、遺言で赤岩の光恩寺の堂山に葬られる。

    安楽寺と光恩寺 資料:郷土の偉人

  5. 弘治2年(1556年)

    家の伝承

    初代増田伊勢守藤原繁敏が亡くなる。墓誌は繁敏を「大胡上泉城三万石の城主」、のち「新田郡長岡の城主」と記す。

    増田伊勢守とは誰か 資料:増田家墓誌

  6. 16世紀半ば(年代不詳)

    家の伝承

    繁敏の次男平馬之助が母に付き添って戦火を逃れ、赤岩に移って武士を捨て、二代目を継ぐ(墓誌)。

    増田伊勢守とは誰か 資料:増田家墓誌

  7. 永禄8年(1565年)

    背景

    上泉伊勢守信綱が柳生宗厳に新陰流の印可状を与える。

    上泉伊勢守と増田伊勢守 資料:上泉信綱

  8. 永禄9年(1566年)

    二次資料

    由良成繁が上杉方を離れ、上杉謙信が大胡城を攻め落とす。このときの城代は増田繁政とされる。

    増田伊勢守とは誰か 資料:大胡城・上野 大胡城

  9. 天正10年(1582年)

    二次資料

    大胡城が由良氏に預けられ、由良家臣の増田伊勢守が城代として派遣されたとされる。翌年、北条氏の直轄になる。

    増田伊勢守とは誰か 資料:大胡城

  10. 戦国時代(軍記)

    二次資料

    軍記『上州坪弓老談記』に、新田(金山城)方の増田伊勢守が成田氏への使者や膳城攻めの加勢として登場する。

    増田伊勢守とは誰か 資料:上州坪弓老談記・上州坪弓老談記

江戸

  1. 寛永7年(1630年)

    二次資料

    国厳本策和尚が中興し、曹洞宗の米頂山安楽寺となったとされる。

    安楽寺と光恩寺 資料:千代田町赤岩・米頂山安楽寺

  2. 江戸時代(年代不詳)

    家の伝承

    五代目増田新右エ門が、赤岩村に曹洞宗の寺がないのを惜しんで安楽寺を開基したと墓誌は記す。

    安楽寺と光恩寺 資料:増田家墓誌

  3. 寛保2年(1742年)

    背景

    江戸洪水。利根川上流の舞木・赤岩などで堤防が切れる。

    利根川と赤岩の渡し、庄屋の家 資料:関宿城

  4. 嘉永年間(1848〜55年)

    二次資料

    舞木の鰻屋「新田家」が創業したと店は伝える。増田家は、家が作らせた店だと伝える。

    鰻の新田家と田山花袋 資料:うなぎ・割烹 新田家・増田家に伝わる話

  5. 嘉永4年(1851年)

    町の資料

    荻野吟子が利根川の対岸、俵瀬村の名主荻野綾三郎の五女として生まれる。

    荻野吟子と長屋門 資料:説明板「荻野吟子 生家の長屋門」・掲示「荻野吟子略年表」

  6. 慶応2年(1866年)

    町の資料

    増田市八が22歳で95石の名主を務める(ウェブページでは23歳)。

    名主から初代村長へ 資料:説明板「増田市八」・郷土の偉人

  7. 慶応2年(1866年)

    二次資料

    光恩寺が火災で堂宇を失う。庫裏は豪農荒川弘文の家を移したもの。

    安楽寺と光恩寺 資料:赤岩山光恩寺 公式ホームページ・光恩寺 (群馬県千代田町)

  8. 明治初年

    史料

    赤岩村は幕府領(岩鼻陣屋の管轄)、舞木村は幕府領と前橋藩領の相給だった(旧高旧領取調帳)。

    利根川と赤岩の渡し、庄屋の家 資料:旧高旧領取調帳

幕末・明治・大正

  1. 明治元年(1868年)ごろ

    家の伝承

    明治維新の折、落ちのびる松平家を増田家がかくまい、その書状が家に残ると伝える(どの松平家かは調査中)。

    増田家を訪れた人びと 資料:松平家からの書状・増田家に伝わる話

  2. 明治6年(1873年)11月

    町の資料

    荻野吟子が生家の長屋門を出て上京する。

    荻野吟子と長屋門 資料:掲示「荻野吟子略年表」

  3. 明治16年(1883年)

    二次資料

    光恩寺の現在の本堂が造営される。

    安楽寺と光恩寺 資料:光恩寺 (群馬県千代田町)

  4. 明治18年(1885年)

    史料

    荻野吟子が医術開業試験に合格し、公許の女医第一号となる。

    荻野吟子と長屋門 資料:荻野吟子・説明板「荻野吟子 生家の長屋門」

  5. 明治20年(1887年)ごろ

    町の資料

    長屋門が俵瀬から光恩寺へ移される(寺の掲示・文化遺産オンライン)。町の説明板は時期は明確でないが明治23年以前とする。

    荻野吟子と長屋門 資料:掲示「荻野吟子略年表」・文化遺産オンライン「光恩寺長屋門」・説明板「荻野吟子 生家の長屋門」

  6. (光恩寺へ移る前)

    家の伝承

    荻野家が絶えたとき対岸の増田家が長屋門を引き取り、のちに増田家から光恩寺へ移したと伝える。

    荻野吟子と長屋門 資料:増田家に伝わる話

  7. 明治22年(1889年)4月1日

    町の資料

    町村制で永楽村が生まれ、増田市八が初代村長に推される。十余年村政に尽くす。

    名主から初代村長へ 資料:説明板「増田市八」・永楽村/千代田町/邑楽郡

  8. 明治23年(1890年)

  9. 明治27〜28年/37〜38年

    家の伝承

    大山巌が出征の前に増田家に立ち寄り、書を残したと伝える(日清・日露のどちらの戦争の折かは調査中)。

    増田家を訪れた人びと 資料:大山巌の書・大山巌

  10. 明治29年(1896年)

    町の資料

    邑楽郡会の発足とともに増田市八が郡会議員に選ばれ、のち郡会議長を務める。

    名主から初代村長へ 資料:説明板「増田市八」

  11. 明治39年(1906年)ごろ

    二次資料

    大屋晋三の父が永楽村の尋常小学校長となり、一家が永楽村大字舞木に移る。

    増田家を訪れた人びと 資料:大屋晋三・私の履歴書 第6集

  12. (年代不詳)

    家の伝承

    大屋晋三が若いころ増田家に丁稚奉公で住み込んでいたと伝える。

    増田家を訪れた人びと 資料:増田家に伝わる話

  13. 明治43年(1910年)8月

    背景

    関東を大水害が襲う。のち増田市八は富永村外四か村耕地整理組合の設立に奔走し、組合議員を務める。

    名主から初代村長へ 資料:明治43年の大水害・説明板「増田市八」

  14. 大正2年(1913年)

  15. 大正4年(1915年)

    町の資料

    増田市八が72歳で亡くなる。墓所は赤岩の安楽寺。

    名主から初代村長へ 資料:説明板「増田市八」

昭和以後

  1. 昭和20年(1945年)まで

    家の伝承

    増田家は第二次世界大戦の終戦まで、庄屋として地域を治めたと伝える。

    利根川と赤岩の渡し、庄屋の家 資料:増田家に伝わる話

  2. 昭和22〜25年(1947〜50年)

    背景

    農地改革。国が地主の小作地を買い上げ、小作人に売り渡す。

    利根川と赤岩の渡し、庄屋の家 資料:農地改革

  3. 昭和30年(1955年)3月31日

    史料

    永楽村・富永村・長柄村が合併して千代田村となる(のち千代田町)。

    名主から初代村長へ 資料:永楽村/千代田町/邑楽郡

  4. 昭和62年(1987年)12月

    家の伝承

    十六代増田新一郎が墓の改葬にあたり墓誌を建てる。

    増田伊勢守とは誰か 資料:増田家墓誌

  5. 平成11年(1999年)2月17日

    史料

    光恩寺の長屋門が国の登録有形文化財になる。

    荻野吟子と長屋門 資料:文化遺産オンライン「光恩寺長屋門」

  6. 平成23年(2011年)2月

    町の資料

    千代田町教育委員会が増田市八の説明板を建てる。

    名主から初代村長へ 資料:説明板「増田市八」