赤岩の家
鰻の新田家と田山花袋 ― 舞木の老舗にまつわる話
舞木の利根川べりに、嘉永年間の創業と伝える鰻料理の新田家(にったや)があります。田山花袋ゆかりの店として知られ、増田家にはこの店を作らせたという伝承があります。店の案内・町の文化財・家の伝承を並べて紹介します。
伊勢守編集部・2026年10月17日更新

この記事の表示:二次資料町の資料家の伝承推測表示の意味
千代田町舞木70-1に、うなぎ・割烹の新田家があります。店のウェブサイトのアドレスは nittaya で、「にったや」と読みます1。舞木城址から歩いてすぐの場所です。
店が伝える歴史
二次資料店の案内によると、新田家は江戸時代の末期、嘉永年間(1848〜1855年)に鰻料理屋として創業しました。170年以上受け継いだたれを自慢とし、鰻のほか、鯉の洗い・鯉こく・なまずの天ぷらなど、利根川の川魚料理を出しています1。千代田町商工会の案内では「創業160余年、田山花袋ゆかりの店」と紹介されています1。
二次資料店は「田山花袋の小説の舞台にもなった歴史ある空間」とし、花袋直筆の掛け軸のある個室があると案内しています1。どの作品の舞台なのかは、店の案内には書かれていません。
田山花袋と赤岩
二次資料田山花袋(1872〜1930年)は、邑楽郡館林町(いまの館林市)で、代々館林藩(秋元家)に仕えた家に生まれました。少年時代を館林で過ごし、のち兄に従って上京します。『蒲団』『田舎教師』などで自然主義文学を代表する作家となり、館林市には田山花袋記念文学館があります2。
町の資料千代田町の文化財の一覧には、赤岩の八幡神社にある「田山花袋の歌碑」が載っています3。花袋と赤岩の結びつきを示すものです(歌の文面は未確認)。赤岩を描いた近代の文芸については、『群馬文化』に論文「近代以降の文芸にみる邑楽郡千代田町赤岩の芸術的風景認識」(2022年)があり4、新田家と花袋の作品の関わりを確かめる手がかりになりそうです(本文は未確認)。
増田家に伝わる話
家の伝承増田家では、田山花袋で有名なこの新田家という鰻屋を、増田家が作らせたと伝えています5。
推測新田家の創業(嘉永年間)は、増田市八(1844年生まれ)の子どものころにあたります。舞木の名主の家が、川魚と渡しの客を相手にする店の開業に土地や資金を出すことは、ありうることです。店の名前の「新田」が、増田家と縁のある新田(新田氏・新田郡)にちなむのかどうかも、興味深い問いです。ただし、いずれも家の伝承と推測の段階で、店の側の記録や当時の文書で確かめたいと考えています。
訪ねるときは
新田家の営業時間・定休日は店のサイトで確かめてください1。舞木城址、安楽寺、光恩寺、赤岩渡船は歩いて回れる距離にあります(地図)。

出典・資料
- うなぎ・割烹 新田家(新田家(店の公式サイト)) 店の案内 開く
- 田山花袋(Wikipedia) 百科事典 開く
- 千代田町の文化財/パンフレット『歴史散策 千代田町の文化財』(千代田町教育委員会) 町の資料 開く
- 近代以降の文芸にみる邑楽郡千代田町赤岩の芸術的風景認識(『群馬文化』2022年)(2022年) 論文(未確認) 開く
- 増田家に伝わる話(聞き取り)(増田家、2026年) 家の伝承
資料の一覧は資料のページにあります。家の伝承は増田家への聞き取りと墓誌によります。



